史跡
五箇山から城端へと続く峠は、杉尾峠・朴峠・唐木峠・小瀬峠・ブナオ峠があり、また、山の神峠は利賀へ続いた。それぞれに峠道があり、藩政期にはその旧道を使っていた。
この峠道は、五箇山の産物が城端へ運ばれ、また城端から五箇山への生活物資が運ばれるという交易路であり、五箇山の産業と生活の重要路線であった。
所在地:南砺市若杉・梨谷・相倉・上梨・高草嶺・杉尾
所有・管理者:南砺市
指定年月日:昭和58年10月14日
史跡
西原遺跡は、示野・金戸地区一帯に広がる縄文時代中期から後期の集落遺跡である。昭
和48・49年に、ほ場整備事業に先がけて調査が行われ、11棟の竪穴住居跡が広範囲にわたって発見された。出土した土器は中期後葉のものが最も多く、遺
跡はこの頃に最盛期を迎えている。その他には、磨製石斧・打製石斧・石皿・石匙・石棒等の石器も多く出土している。
所在地:南砺市西原・野口・金戸
所有・管理者:金戸・西原集落
指定年月日:昭和49年9月9日
史跡
城端地区の俳諧の歴史はかなり古く、萌芽期は芭蕉が越中に入る元禄2年(1689)
より30〜40年ほど前と推定される。江戸中期の俳人李夫は江戸時代全期を通じて城端が生んだ最も傑出した俳人といわれ、金沢の俳人既白に随行して西国行
脚し、宝暦11年(1761)秋、姫路で芭蕉の遺品菅蓑の毛を得た。翌12年(1762)には城国寺境内にそれを埋めて芭蕉塚を築いた。
所在地:南砺市城端85−1
所有・管理者:城国寺
指定年月日:昭和49年9月9日