古文書
この文書は、石山合戦終了後、和睦の条件に従って大坂から紀州鷺森(現和歌山市)に
退去した顕如が、諸国の門徒衆に対して発した消息の一つである。この中で、顕如は和睦の経緯を述べるとともに、長男教如が和睦をくつがえして、徹底抗戦に
切りかえたことを非難しつつ、それに応じないよう諸国門徒を戒めている。
所在地:南砺市城端1030
所有・管理者:瑞泉寺
指定年月日:昭和49年9月9日
古文書
加賀藩は寛永10年(1633)に初めて今石動に町奉行を置いた。城端は、同13年(1636)宿並に仰付けられ、同14年(1637)から今石動町奉行配下に組み込まれた。
この諸役人交代記は、明治3年(1870)まで236年間にわたる記録で、文久2年(1862)壬戌3月に新しく書写されたものである。
その内容をみると、町人に課せられた諸役は53役種、就役人数は866人であることがわかる。
所在地:南砺市城端953 南砺市城端図書館
所有・管理者:南砺市
指定年月日:昭和60年10月9日
古文書
組中人々手前品々覚書帳(1693年)によると、畑家は、大工町組合頭松屋茂右衛門
のくだりに「今より百年以前、大鋸屋村より来住」と書かれ、子孫は今なお健在であり、極めて稀少な家系である。代々、町方の上級諸役を勤めた同家には、多
量の古文書が所蔵されており、これらを一括して畑文書と呼称している。
所在地:南砺市城端953 南砺市城端図書館
所有・管理者:南砺市
指定年月日:昭和49年9月9日