羽柴秀吉禁制朱印状
書跡
この朱印状は、天正13年(1585)、豊臣秀吉が富山城にいる佐々成政をせめたころに、瑞泉寺に渡したものである。秀吉はこれとよく似た内容の朱印状を、高岡伏木の勝興寺や、八尾の聞名寺などにも渡している。
瑞泉寺は、当時佐々成政の兵に焼かれ、城端町北野に移っていた。
朱印状には「寺内で乱暴をするな。寺に火をつけるな。もし守らなければ、厳しく罰する」と書かれている。
所在地:南砺市井波3050
所有・管理者:瑞泉寺
指定年月日:昭和41年7月1日
芭蕉書翰
書跡
この手紙は、松尾芭蕉が加賀の俳人である北枝へ出した近況の報告である。
北枝は、芭蕉十哲といわれる芭蕉の10人の弟子の一人で、北陸を代表する俳人として有名である。
1691年に北枝が、『卯辰集』という句集を出したとき、浪化上人が、尊敬する芭蕉の手紙を北枝から譲り受け、黒髪庵に伝えてきたと言われている。
所在地:南砺市井波520
所有・管理者:南砺市
指定年月日:昭和32年7月
新築芭蕉翁之塚文
書跡
この塚文は、松尾芭蕉が亡くなって7年目の元禄13年(1700)、瑞泉寺の浪化上人が、京都からの帰り、今の滋賀県大津市にある義仲寺を訪れ、そこにある芭蕉の墓に詣り、墓のまわりの小石を3個持ち帰って、井波の浄蓮寺の境内に塚を建てたことを書いたものである。
所在地:南砺市井波520
所有・管理者:南砺市
指定年月日:昭和32年7月